Kind's room

アニメの感想、考察など。

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -永遠と自動手記人形-』考察~「百合」の尊さと「永遠」の美しさ~

(※)以下、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -永遠と自動手記人形-』の内容含む。
(※)原作小説未読。

今回の映画のストーリーは大きく分けて二部構成だった。前半はイザベラ(エイミー)とヴァイオレットの出会いといちゃいちゃと妹への手紙。後半はテイラーの郵便配達員見習い編と最愛の姉との再会。どちらも直球で感動へ誘ってくれる本当に美しいエピソードであった。

イザベラとヴァイオレット

f:id:buckingham0120:20190913022052j:plain

イザベラとヴァイオレットの関係性を、もしくはイザベラのヴァイオレットに対する好意を「百合」と評する人が多く、私自身もそう感じた。一緒にお風呂に入ったり、一緒のベッドで寝たり、舞踏会でのダンスシーン等の尊いシーンも多く、正直このアニメでこういうのが見れるとは思っていなかったので、いい意味で期待を裏切られた。加えて、一人称が「ボク」であるイザベラと容姿端麗な淑女ヴァイオレットという見方でも、良家の子女であるイザベラと騎士姫ヴァイオレットという見方でもめちゃくちゃ百合映えである。だが、この2人の関係性を、そういった表面上だけで「百合」と表現してしまうのは少し惜しい。
ここでイザベラの過去、つまりエイミー時代の話を振り返ってみる。彼女は独り身でその日暮らしのような生活を送っており、一人称が「ボク」であるほど男勝りな性格と容姿だった。もちろん女の子との接点もなく、ましてや「家族」「友達」なんて概念も存在しなかった。そんなある日、捨て子であったテイラーを拾い、この子を妹にする決心をする。エイミー自身も、ヨーク家の血を引きながら恐らく隠し子のような扱いだったため、素性を隠してこそこそと過ごす「こんな生き方」しかさせてくれなかった親を恨んでいた。だからこそ、このままだと「死」以外の選択肢がないテイラーに、生き方の選択肢を与え、幸せにしようと誓った。いつしか、それがエイミーの生きる意味になっていた。
しかし、ただでさえ貧しい自分の身でテイラーを育てるのは厳しく、いつ二人一緒に息絶えてもおかしくない状況だった。そしてイザベラは最愛の妹を守るために、名前も過去も全部捨てて、自分の未来を売り払う決断をする。それがエイミー、つまりイザベラの過去であった。
女学院でのイザベラは、貴族の育ちではない自分がお嬢様学校に居ることにより劣等感と疎外感を抱えていたのだろう。そんななか出会った、一見して完璧人間のヴァイオレットのことを初めは快く思っていなかったが、「最愛の妹と同じ孤児という境遇」「会いたいけど会えない人が居る」といった要素に親近感を抱き、体が弱い自分を夜通し介抱してくれたことで心を許すようになる。で、この辺りから百合ブーストがかかる訳だが、そうなった要因はなんなのか。
個人的には、イザベラはヴァイオレットに「友達」として接しつつ、少し「妹」に重ねていた部分があるのではないかと思う。ヴァイオレットに夜通し介抱されて目覚めた朝、イザベラは手を握ってくれていたヴァイオレットの姿をテイラーに重ねていた。加えて、ヴァイオレットをベッドに誘った際も「妹とこうやって寝てたんだ」と言っていたし、三つ編みにするシーンでも「妹にもね、髪をよく結んでたんだ」と発言していた。妹に接していた時と近しい感情と距離感でヴァイオレットに接していたからこそ、あのような百合ブーストが生まれたのだと考える。あとは、この女学院で抱いていた劣等感を矯正してくれて、疎外感を埋めてくれる「友達」という存在も、孤独な人生を歩んできたイザベラにとっては大きかったのだろう。
とどのつまり何が言いたいかというと、イザベラとヴァイオレットの関係性を表す「百合」は、単に女同士のいちゃいちゃを形容する言葉というより、二人して初めて同士という「友達」の価値の高さと、二人の過去を反映したうえでの「姉妹」のような関係の尊さが込められた、崇高なる二文字なのではないだろうか。

 

どこにも行けないイザベラ

時は遡ってヴァイオレットが初めてイザベラの部屋を訪れるシーン。ライデンからやって来たというヴァイオレットに対し「どこにでも行けるんだね」と意味深な台詞を発していた。イザベラはこの女学院での生活を「牢獄」と表現しており、自由が制限された苦しい日々を送っていた。しかしヴァイオレットとの出会いで、次第に笑顔を取り戻していく。
そんななか、授業に遅刻しそうになりヴァイオレットと共に緑道を走るシーンで、「このままどこかに行きたい」というイザベラに対してヴァイオレットが言い放った「どこへも行けませんよ」という台詞は、イザベラに改めて現実を突き付ける一言であった。
時に弱音を吐きながらも、ヴァイオレットの支えもあり迎えた舞踏会。思わず息をのむほど美しいダンスシーンのさなか、イザベラは天井に描かれた一羽の鳥を見ていた。この鳥のように自由に羽ばたいてあの子に会いたいけど、ここはあの子を守るために入った牢獄、自分はどこにも行けない。それを悟っているかのような哀しげな表情で。

 

テイラーとヴァイオレット

f:id:buckingham0120:20190913022341j:plain

冒頭のシーンで登場した少年もとい少女は、逞しく成長したテイラーだった。テイラーが孤児院を抜け出してまでヴァイオレットのもとにやって来た一番の目的、それは「最愛の姉に会うため」ではなく、「郵便配達人として働くため」だった。3年前、孤児院で過ごしていた自分のもとにやって来た郵便配達人・ベネディクト。彼が運んできたのは、エイミーからの手紙であると同時に、魔法の言葉が添えられた「幸せ」だった。だから、自分も「幸せ」を運ぶ人になりたい。そう志願してはるばる一人でやって来た。
しかし文字が読めないテイラーにとって、郵便配達人への道は険しい。そこでヴァイオレットはテイラーに文字を教えることを決意。大事な友達の妹だからというのもあるが、かつて孤児だった自分を拾って育ててくれた少佐のように、今度は自分が「恩送り」をする番だと思ったのかもしれない。

 

3つを交差して編むとほどけない

テイラーは当時幼かったため、エイミーと過ごした時のことをほとんど忘れてしまっていた。しかし、ヴァイオレットの部屋で目覚めたテイラーは、起こしてくれたヴァイオレットが一瞬だけエイミーと重なって見えた。姉と過ごしていた時のことはほとんど覚えていないが、姉を想う気持ちは今も残っている。ヴァイオレットを介して、姉妹の互いを想う気持ちは通じ合っていた。今回の外伝は二部構成をうまく活かし、こういった前半と後半をリンクさせる粋な演出が多々見られた。
ここでポイントとなるのが「三つ編み」である。イザベラ編でもテイラー編でも、三つ編みの描写が見られた。印象的だったのは、テイラーが「2つ」で結ぼうとして失敗したときの「2つではほどけてしまいますよ。3つを交差して編むとほどけないのです」というヴァイオレットの台詞。エイミーとテイラー、2人のままだと“ほどけて”しまうはずだった未来は、ヴァイオレットが加わり「3人」になったことで、ほどけずに結び合う。そんな意味が込められていたのだろう。この演出の意図に気づいたときは軽く鳥肌立った。どんな素敵な人生を送ってきたらこんな発想を思いつくのだろうか…

 

羽ばたいたエイミー

ヴァイオレットがイザベラのもとを去った後も文通は続いていたが、最近は返事が途絶えていた。イザベラが理由もなしに返事を書いてないとは考えにくいため、嫁ぎ先の上流貴族のもとで外との交流が遮断された生活を送っていたのかもしれない。「屋敷から姿を見せない」理由もこれだろう。名前も過去も捨てた今でも、素性を隠すような生活は続いていた。
そんなある日、一人の青年が訪ねてくる。「幸せ」を運ぶ男、ベネディクトだ。届かなくていい手紙なんてない、その意志で住所も消息も分からなかったイザベラを探し出し、テイラーを連れて彼女のもとへやって来た。
ベネディクトから受け取った手紙。「私はテイラー・バートレット。エイミー・バートレットの妹です。」その刹那、上空では二羽の鳥が羽ばたく。手紙を通じて、やっと一緒になれたエイミーとテイラーのように。手紙があれば、「エイミー」はテイラーのもとへ行ける。テイラーが名前を呼ぶ限り、「エイミー」は存在し続ける。互いが名前を呼ぶ限り、二人の絆は永遠に結びつく。
―君の名を呼ぶ、それだけで二人は「永遠」なんだ。

 

────────────────────────



個人的に涙腺が緩んだポイントは二ヶ所あった。1つ目は前半最後のイザベラの手紙とモノローグ。「これはあなたを守る魔法の言葉です。“エイミー”ただそう唱えて。」「君が唱える限り、君を幸せにしたいと願ったことは消えないんだよ。」「寂しくなったら名前を呼んで」20年生きてきて、こんな美しい文章に初めて出会った。映画冒頭でのテイラーの口パクも恐らく「魔法の言葉」を唱えていたのだろう。それを考えるとまた泣ける。
2つ目は終盤、エイミーが最愛の妹の名前を叫んでからのサブタイトル「君の名を呼ぶ、それだけで二人は永遠なんだ。」が現れる一連の流れ。エイミーの晴れ晴れとした表情が逆に涙を誘った。また、テイラーが目の前にいたエイミーにあえて会わなかったところに、この作品の「永遠」というテーマを強く感じた。あとはこの作品はサブタイを最後に持ってくるのがズルい。おかげで当分は余韻が収まらない。ありがとう京都アニメーション
TVシリーズも10話を筆頭に上質なエピソードは多かったが、今回の外伝は二部構成だったため、手紙を「送る」のはもちろん「返す」ところまで描けていたのが最大の強みだったと思う。ストーリーの美しさに加え、圧倒的かつ綺麗な作画、センスに脱帽する演出、声優陣の演技、その他諸々何から何まで本当に完璧で、アニメーションの素晴らしさを改めて実感できる、そんな傑作映画だった。唯一心残りがあるとすれば、2回観に行ったのに未だに特典もらえてないどころかパンフレットも手に入らないことかな...