Kind's room

アニメの感想、考察など。

『宇宙よりも遠い場所』12話考察 報瀬の夢を覚ました、思い込みと母の居た証

‪宇宙よりも遠い非現実な地で消息を絶った母、その事実を祖母から聞いた報瀬。もちろんそんな非現実な地で母が居なくなった現実なんて簡単に受け入れるはずもなく、この3年間は毎日どこか「覚めない夢」状態だった。報瀬は「母と同じ地に行くこと」で母の死を受け入れ、あるいは「母の消息を自分で確認しに行くこと」でその夢が覚めると思っていた。しかし、いざ夢の南極の地に辿り着いても最初に口から出て来た言葉は、母宛てではなく自分たちを馬鹿にしてきた奴らに対する「ざまぁみろ」。夢はまだ覚めてはいなかった。‬

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そして報瀬はラストチャンスを試される。夢が覚める最後の手段は「母が消息を絶ったあの場所に行くこと」だが、それは同時に「もしそこに行っても夢が覚めなかったら、何も変わらなかったら、一生今の気持ちのまま過ごすことになる」という、大きな賭けでもあった。そして報瀬は自分がそこに行くべきなのか吟に相談する。吟はなぜここに来たのか、それは「自分が来たかったから」「貴子が来て欲しいと思っていると自分が思い込んでるから」だ。自分を前に進めるには、自分の思い込みで行動するしかない。報瀬の立場で言い換えれば、夢を覚ましたいなら、「母の元にいけば夢が覚める」という自分の思い込みを信じて行動するしかない。‬

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‪部屋に戻った報瀬は今まで汗水垂らして必死に稼いできた100万円を手にし、回想にふける。何が自分をここまで突き動かしてきたのか、それは「母が待っている」という"思い込み"だ。自分の今までの行動も思い返せばほとんど"思い込み"で突っ走ってきた。自分はそういう人間だったじゃないか。吟の言葉に背中を押された報瀬は、母が最後に消息を絶ったあの場所に、最後の旅に出かけた。‬

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小淵沢天文台。貴子が最後に見た景色を一緒に見るために、貴子がここに居た証を遺すために、貴子が居なくなったことを受け止めるために、吟が名付けたとしたら感慨深い。もしかすると吟も「覚めない夢」を見ていたのかもしれない。しかし貴子と一緒に空を眺めたことを思い出し、涙を流したあの時、吟は報瀬より一足先に夢から覚めたのではないだろうか。‬

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‪夢から覚めた吟、まだ夢から覚めない報瀬。それを本能的に察知したのはキマリ、日向、結月の3人だった。友達が悩んでるときは一緒に悩み、正面からぶつかり、多少強引にでも良い方向へ導く。それがよりもいスピリットだ。「このままではいけない」という衝動に駆られた3人は、貴子の遺品を発掘し始める。報瀬が諦めても、満足しても、望まなくても、3人は諦めないし、満足しないし、強引に望む。よりもいスピリットが遺憾なく発揮された熱い友情シーンを経て、ついに母の遺品が発見される。出てきたのは一枚の写真と、一台のパソコン。‬

‪報瀬が母の死という現実を受け入れ、覚めない夢から覚めるには「母と同じ場所に行くこと」だけでは不十分で、必要なのは「母がここに居た証を見つけ、ここに居ないことを実感すること」だった。薄く氷の張った報瀬と母のツーショット写真、そして自分の誕生日がパスワードに設定されたパソコン。それは紛れもなく母がここに居た証だ。その場所に自分もやっとの思いで辿り着いた。母に会いに来た。しかし今ここに母は居ない。‬

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‪そしてパソコンを立ち上げた報瀬の前に飛び込んで来たのは自分が送った1,000通以上にのぼる未読メール。毎日欠かさず送信してどこか届いてると思っていた"想い"、それが無情にもいま初めて受信されていく。報瀬の止まっていた時間が動き出し、とうとう夢から覚めるときが来た。大量の受信メールの勢いそのままにどばどば溢れ出す涙、心の中の悲痛な叫びが溢れ出し声にならない声、報瀬は初めて母親の死を現実として受け入れ、泣いた。母の死を聞いてから3年以上経って、ようやく夢から覚めることが出来たのだ。‬

 

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‪このシーンで特筆すべきはやはりパソコンの未読メールが大量に受信されていくシーンだ。ここで10話の結月回を思い返して欲しい。この回では「友達」で思い悩む結月に対して、キマリが自分とめぐっちゃんのLINEを例にして友達とは何かを説いた。‬LINEには既読機能があり、読んだかどうか、読んでないかどうかが分かる。既読サインが付く速さや返信の頻度で、相手が今どんな顔してるか何を思ってるかがキマリには分かってしまうらしい。しかし、母にメールを送っていた報瀬は母が何をしているか、今どんな顔してるかは分かる訳もなく、読んだかどうか、読んでないかどうか、ましてや読まれてないことすら分からなかったのだ。10話のLINE演出は皮肉にも12話の届かなかったメールの悲しみを増長させた。

‪しかしこのシーン、よく見て欲しいのは「送信トレイ」が(1)になっているところだ。みなまでは言わん、最終回みんなで一緒に泣こうぜ.......‬

 

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‪このエピソード、実は初見時にはあまり心に響かなかった。なぜなら報瀬の心情を完全に理解していなかったからだ。これはシンプルに私の読解力のなさが原因である。そこで「報瀬がなぜ母親と同じ地に来たにも関わらず思い悩んでいたのか」「報瀬はなぜ目的の場所に行くことを躊躇したのか」「報瀬は吟との会話で何を思ったのか」「報瀬はあの未読メールを目の前にどういう心境だったのか」を真剣に考えるべく、ストーリーの流れをつらつらと文章にし、彼女の心情を考察してこの記事を書くに至った。‬
‪結論からして書いて良かった。あくまでもこの記事内の考察は完全に私個人の考えであり、深夜テンションの勢いのまま書き上げたので筋違いな部分も多いだろう。だがもし書かずに、報瀬の心に寄り添わなかったら、心に響かなかったエピソードとして永遠とモヤモヤを抱えたままだったかもしれない。個人的に12話は「見る」だけではなく「寄り添う」ことで神回に成り上がった。‬

‪ん〜、よりもいが最高すぎて今後よりもいよりもいいアニメが出てくるか心配になる。‬