Kind's room

アニメの感想、考察など。

『ワンエグ』特別編を見たあとでいろいろ考える-その2

kindanime.hatenablog.com

↑前回 

 

 

 

 

なぜアイは電話に出なかったのか

f:id:buckingham0120:20210711144211p:plain

ねいるの夢を見たあと、自宅に戻ったアイはねいるからの着信に気づく。待っていたはずのねいるからの電話だったが、アイは応答することなくスマホを投げ捨てた。かと思えばそのことを後悔して泣きじゃくったり、後日談では、突然ねいるのことが脳裏によぎって、ねいるに会うため再び走り出している。

アイの行動は理屈どうこうというより、その場の思い付きや感情のみで動いているように思えた。実際、脚本の野島伸司氏はインタビューでこう答えていた。

僕は若い世代の話を書くのが一番楽しいんですよ。まだ本人の価値観とか性格が固定されていないので、キャラの振幅する幅がすごく広い。さっきまで怒っていた子が、急に笑っても泣いても何をしても許されて、それが逆に魅力的になる。

 (出典:TVアニメ「ワンダーエッグ・プライオリティ」特集 野島伸司(原案・脚本)インタビュー  -コミックナタリー)

このような、キャラの振幅する幅の広さを活かした描写は他にもあった。象徴的だったのが6話。急に何かを思い立って風呂から上がり、びしょ濡れのまま一目散に学校へと走り出したアイは、沢木先生に「わたし、学校行きます!」と告げた。ずっと不登校だった少女とは思えない大胆不敵な行動であった*1

若きゆえの感情の振り幅の広さや、思春期特有の衝動をこの作品は意識して描いている。それを踏まえると、特別編でアイがねいるの電話にでなかったことも、スマホを投げ捨てたことも、その行動に理由を求めること自体が野暮なのかもしれない。

だが、野暮を承知で考えるならば、アイはねいるがフリルを選んだことが悔しかったのかも。ねいるは「友達に会いたいから」という理由で、アイルを転生させた後はアイたちとの日常に戻る予定だった。しかし、「私と友達になればなれるよ、人間に」とフリルに誘惑されて、フリルに取り込まれるような形でアイの前から姿を消していた。

それを知ったアイは、自分がねいるを救えなかったこと、ねいるの葛藤に気づけなかったこと、ねいるを奪われたことに、あるいはそれらをねいる自身が何も話してくれなかったことに悔しさを覚えたのかもしれない。それであのような、自分の本心とは違う天邪鬼な行動を取ってしまった。

 

四人の関係性と結末

転生した小糸ちゃんとの友達関係が(パラレルの干渉によるノイズの影響で)消滅していることを知ったアイは、もうこの学校にいる意味がないという理由で転校していた。リカや桃恵との関係は、時間の経過とともに自然消滅したという。自然消滅って。

エッグの秘密を共有してきた仲であり、命懸けで一緒に戦ってきた仲間でもあり、そのなかで深い友情も生まれていた関係(ましてやOPもEDもユニットで歌ってるような四人組)で「自然消滅」なんて概念が登場するとは思わなかった。まあ、こういう思春期の友情の儚さみたいなものもまたワンエグっぽいのかな、、、

四人の結末。リカにとっては、ジュニアアイドル時代のファンであり、自らの言葉の刃で殺してしまったちえみを、命懸けで転生させたにも関わらず、当のちえみとの関係は消滅していた。ちえみの転生で少しは罪悪感は晴れたかもしれないが、最終的に残ったのはマンネンを目の前で殺されたトラウマだけ。何も救われてないが、険悪な関係にあった母親と向き合えたという点では、この戦いに少なからず意味はあったのかも。

桃恵にとっては、生き返らせたいハルカは転生できたし、ハルカが別の女と付き合ったとしても、桃恵との友達関係は継続してるだろうから、結果的に目的は果たしている。リカと同じくトラウマは植え付けられたとはいえ、四人のなかでは唯一の勝ち組かもしれない。ハルカちゃんはこうしてスクールアイドルになったのか。

アイにとっては、転生させた小糸ちゃんとの関係は消滅しており、本人の口からなぜ死んだかも聞き出せなかったため、当初の目的は果たせなかった。だが、引きこもり状態から脱せたのも、ねいる・リカ・桃恵という友達と過ごせたのも、人間的に強くなったのも、エッグの戦いがあったからであり、戦いを通して得られたものは四人のなかで一番大きかったはず。

ねいるにとっては、自分を刺して自殺したアイルを転生させたことで、背中の傷の疼きは止められたかもしれない。しかし、アイたちとの友達関係より、同じAIであるフリルの誘惑に取り込まれるようにして、どこかへ姿を消した。この結末により、ねいるが幸せになれたのかどうかは、本人にしか分からないのだろう。

 

特別編の感想

今さらだけどワンエグってSFだったんだという気持ち。特別編を見るまで、そういう目線で本作をあまり見たことがなかった。確かに9話や12話でパラレルワールドに関して言及していたが、それがワンエグ世界観の根幹的なものだとは思いもしなかった。

特別編の感想としては、やはり結末に物足りなさはある。消化不良とまではいかないが、最後のLife is サイダーはもっと晴れ晴れした気持ちで聴きたかった。どうしても自然消滅ってのが切なすぎる...。

ねいるのその後などの最終的な結末は、その解釈を視聴者に丸投げする形で終わった。これに関しては賛否両論あるだろうけど、個人的にはこれで良かったと思っている。ついつい深掘りしたくなる魅力がこの作品にはあったし、だからこそこうして筆を走らせているのである。

脚本の野島伸司氏はこうも答えていた。

それぞれの人が、勝手にいろいろ想像して感じてくれるのが僕としてはうれしいです。それこそ、そこまで考える!?みたいな、すごく深読みした考察とか、二次創作を読んでみたい。

 (出典:TVアニメ「ワンダーエッグ・プライオリティ」特集 野島伸司(原案・脚本)インタビュー  -コミックナタリー)

制作側のその期待に少しでも応えられたのだとしたら、アニメオタク冥利に尽きるところである。

ただ、もし可能ならば、フリル周りの話や、アイとねいるの物語の続きを描く2期、もしくは劇場版が見てみたいところ。

 

まとめ(ワンエグとは何だったのか)

ワンダーエッグ・プライオリティという作品は、結局のところ何を描きたかったのか、何を伝えたかったのか、何の物語だったのか。これに対する答えは一通りではないだろうし、視聴者によってもその受け取り方は異なるだろう。

だが強いて言うなら、私は「生まれ変わりの物語」だったと考える。

脆く割れやすい卵の時期から、自分で殻を割って逞しく生まれ変わる時期への変化。いろんな悩み、後悔、トラウマに触れて、乗り越えて。死の近さ、危うさを感じながら。人生の儚さを知りながら。

しゅわしゅわ生まれて しゅわしゅわハジける

Life is サイダー

パパやママのことも くすぶってる思い出も

泡になって消えるの

人生なんて所詮はサイダーなのだと。

しゅわしゅわ生まれてしゅわしゅわハジけるものなのだと。

そんなことを、ワンエグは伝えたかったのかもしれない。こんなまとめ方でいいのか!?

 

 

 

natalie.mu

 

kindanime.hatenablog.com

 

 

*1:このシーンについては別の記事でも言及済み。